LARME編集長になれた理由。中郡暖菜の才能は「真っ直ぐすぎる性格」と「小悪魔ageha」にあった!

月刊20万部を発行している大人気ファッション雑誌『LARME』(徳間書店)。

最初の企画段階からここまでの大きな雑誌に変身させたのは、当時26歳だった中郡暖菜氏(現30)である。

現在は退社をし新しい雑誌の制作に携わっているが、徳間書店に在籍していたころは創刊編集長としてLARMEをゼロから創り上げてきた。

そんな敏腕編集者である中郡氏の幼少期、出版業界に携わるようになったキッカケを順を追ってまとめてみた。
 
 
 
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学校帰りには本屋さんへ寄り道

 

 

小さい頃から本が大好きだった中郡氏。
小学校の頃からまっすぐに家に帰宅することが出来なく、必ず本屋に立ち寄っていたくらい本好きだったとのこと。

 

性格は、もとより大人を信じれないタイプで何かと反発をしている子だった様子。

 

自身のコラムでも公言していたが、「大人に嫌われる子供」タイプ。

 

しかし、そんな「大人」に対してのアンチを抱えていたからこそ、
中郡氏だけに見えている世界観が常にあった。

 

それが、波風立てずに生きていかなければならない不自由さ。

そんな価値観から、小学校この頃に真っ直ぐ自宅に帰れずに本屋へ立ち寄っていた中郡氏の行動があったのだ。

 

 

そんな当時の中郡氏にとってのバイブル本が「ガリレオ・ガリレイ」
誰も味方をしてくれずとも、後ろ指をさされる状況に陥ったとしても、
自分の信念を最期まで信じ続ける強さ。

 

そして常識にとらわれず、周りに足並みを揃える必要なんてない、という価値観が出来ていった。

 

そういった価値観に影響を受けた中郡氏だからこそ、
この『LARME』が後に生まれることになるのだ。

 

さて話しを戻して、
中郡氏が学生時代から大好きだったファッション雑誌との関係について述べる。

 

中郡氏は本の中でも
特にファッション雑誌が好きで、ジャンル関係なくチェックしていたという。

その中でも特に好きだったのが、当時「キャバ嬢の教科書」と言われ爆発的なヒットを生み出していた『小悪魔ageha』。
「agehaのことなら、世界中で私が一番知っている」と言えるくらいまで
隅から隅まで熟知していたそう。

 

というのも、今でこそガーリーで優しい雰囲気の中郡氏であるが、
学生時代は自分自信が「ギャル」だったそうで、パラパラも極めていたとか。

 

今の見た目からは想像も出来ませんが、
その当時は小悪魔ageha が大好きな一読者だったようです。

 

 

『小悪魔ageha』では編集長から一目置かれる存在だった

 

 

そんな大好きな雑誌を自分も作ってみたいという気持ちが生まれ
アルバイトをしたいと小悪魔編集部へ応募したのが、
中郡氏が出版業界に入ったきっかけだった。

 

しかし書類を応募したものの、1ヶ月待っても返事は来ず…
そのまま落ちてしまったのかな?と思っていたそう。

 

だが1年後、突然転機はやってきた。

 

なんと1年前に応募した書類選考の「合格通知」が来たのだそう。

 

自分でも忘れていた頃にやってきてビックリしたと語っていたが、
これは出版業界であれば「あるある」なんだそう。

 

出版社に務めている人は常に忙しいため、
応募が来ても一枚一枚見ている暇もなければ当然合否もきっちり連絡できない。

 

そのため人員不足などで必要になったときに
積んである応募書類の中から選考し、突然連絡が来るのだそう。

 

そんなこんなで1年越しで編集部にアルバイトとして入った中郡氏。

 

「世界で一番知っている読者」という編集者の立ち位置から、
すぐに当時編集長であった中條寿子氏(39)に認められ、一目置かれていたのだとか。

 

 

歌舞伎町を堂々と歩いていた時代

 

 

一般的な編集部は、みな机を重ね合わせて「島」を作っているが、
中郡氏だけはアルバイト時代(学生時代)から、ひとりだけ別のところに机があり、「フリー」な立場だったそう。

 

 

つまり、特に担当もないため、
「全部(中郡さんの)好きにやっていいよ。企画出すならそれやって」という立場だったという。

 

これはとてもスゴイことであり、異例。

 

中條元編集長も、当時から中郡氏の才能やパワーを見極めていたから、
あえて「自由な発想でやっていいよ」と言っていたのだろう。

 

中郡氏も「中條さんが好き勝手やらせてくれていたので、本当に楽しかったし学びになることばかりだった」とその当時のことを語っている。

 

キャバ嬢と言えば新宿歌舞伎町。

編集部員をガツガツやっていた頃は、歌舞伎町を歩けば『小悪魔ageha』で知り合ったモデルさんたちばかり。

 

普段なら恐縮してしまう街であるが、

中郡氏は知り合いばかりだったので我が物顔で歩いていたんだそう。

それだけ、モデルさんたちからも有名な編集者だった。

 

しかしそんな中條氏でも最初のころは中々思うようにいかず、
毎月、その人が担当する「ページ割り」を見ては
自分の名前がないことに落ち込んでいたのだとか。

 

 

大ヒットした中郡氏のある企画

 

 

中郡氏がアルバイト時代(学生時代)から小悪魔agehaでそのような特別な立ち位置で
活動していたのには、しっかりと結果も伴っているからだ。

 

これは小悪魔ageha史上もっとも売れた号になり、今でも伝説となっている。
その企画は「セーラームーンのキャラ髪企画」である。

 

もともとキャバ嬢は、「セーラームーン好き」が多いというところに目を付けた中郡氏。

 

「私たちずっと、美少女戦士になりたかった」というキャッチコピーと共に、
人気キャバ嬢モデルたちが、セーラームーンのコスプレをし、髪をほどこし変身していく企画である。

 

この企画が大人気でキャバ嬢の間でもたちまち広まり、
小悪魔ageha史上最も売れた号になったのだとか。

 

ひとつひとつ細部までこだわって作り抜く中郡氏のポリシーは、
小悪魔agehaの頃に培われたものであった。

 

その他にも、表紙に使う「ピンク色バイク」も小悪魔agehaっぽくする為に、
ラインストーンを一つ一つ手で付けていったなど、そのこだわりは半端ない。

 

一枚のちょっとした部分でも徹底的にこだわって作り、
「意味のないページなんて作りたくない」という真っ直ぐな姿勢は昔も今も変わらないのである。

 
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LARMEが作れないなら、アルバイトでもした方がマシ

 

 

そんな中郡氏は、以前より中條元編集長から、
「(中郡には)自分の雑誌を創ってもらいたい」と言われていたそう。

 

中郡氏も、小悪魔agehaを卒業し次の雑誌を制作するときには
「必ず自分が考えた雑誌を作る」と心に決めており、

当時小悪魔agehaの発行元であったインフォレスト株式会社の上層部へ、
早速中郡氏が考えた企画(LARME)を提案したそう。

 

すると話はトントン拍子に進み、遂に発刊することになったという。

 

しかし、その頃に自分を応援してくれ、育ててくれた中條元編集長が退社。
その退社と同時に、中郡氏が企画していたLARMEも発刊は見送りとなってしまったのだとか。

 

それでもどうしても、この雑誌は作りたいという想いがあり
中郡氏もそのまま退社をし、LARME発刊に向けて出版社を回ることになった。

 

LARMEは徳間書店から発行されているが、
なんと一番最初に持っていったところが徳間書店であったという。

 

もともと徳間書店には、10代後半~20代前半女性向けのファッション雑誌がないというところに目を付けており、最初から徳間書店に持ち込む気があったそう。

 

徳間書店から発行されていたファッション雑誌『ラブベリー』も休刊していたところだったので、

「LARME」の提案は受け入れやすいと踏んでいたのだ。

 

話をもっていくと、徳間書店も食いつきがよく、
話はそのまま制作の段階で進んでいったそう。

 

もうひとつ話を聞いてくれてLARMEに興味を持ってくれた出版社もあったが、
まずは徳間書店の合否を聞いてから、ダメだったら次に行こうと思っていたそうなので、
相当「徳間書店」への発刊に熱量をもっていたことが伺える。

 

しかし、当初の条件としては編集部員も用意が出来なかったため、
「ひとりで作る」ことを条件に、LARME発刊が決まった。

 

中郡氏もその条件を受け入れ、ひとりでのLARME創刊のスタートを切ったのだ。

もし、出版社にもっていっても全て断られてしまったら、

他の出版社に行って働こうとは思ってもいなかったと語っていた。

 

「LARMEが作れないなら、アルバイトでもしようと思っていた」と語る中郡氏は、

それだけLARMEに対する想いを強く深くもっていたのである。

 

 

LARMEという大きな雑誌を創り上げてきた中郡氏の過程には、小悪魔agehaでの編集部員時代、幼いころからの価値観が大きく関わっていた。

彼女の創り出す世界観、表現方法が今の若い女性たちの心を掴んでいるのは確か。

アートディレクターとしての才能も抜群にある中郡氏が創り出すLARME創刊号については、また次回の記事で記す。

 

 

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